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読者体験手記
突然始まった夫の看病
娘の笑顔とママ友達が支えに
夫が倒れた! まさかの事態にこそありがたく身にしみる身内、友人、職場仲間の支え。
そして、思ってもみなかった人間不信が湧き起こるのも介護がきっかけだった。
宇佐見 小夜子 さん  (兵庫県 38歳 仮名)
右も左もわからない土地で
夫を支えるため奔走


  わが家の場合、倒れたのは夫で、しかも新幹線で2時間半もかかる出張先でのことでした。 ですから、私がまずしたのは「入院先の現地で助けてくれる人を探す」こと。 取る物も取りあえず付き添いに飛んでいったものの、右も左もわからない土地。 小学生の娘と離れた生活を余儀なくされ、病状が安定してくれば地元の転院先を自力で探さなければならない。 他人の助けなしにはとても乗り切れませんでした。

  そして実際、本当にたくさんの人が助けてくれたのを思い出します。 実家の母はわが家に泊まりこんで、娘を学校に送り出してくれました。 妹は自分の人脈を駆使して、転院先に関する情報を集めてくれました。 弟の義母は、リハビリに詳しい知り合いの医師を紹介してくれ、この先生が一面識もない私に、ていねいにアドバイスをくださったのが大きな力になりました。

  病院で同室になった患者さんの奥さまたちとも親しくなり、励ましあうだけではなく、私を心配して食事に誘ってくれました。 3年近く経った今でも時々電話で話します。もちろん、夫がお世話になった病院や施設には足を向けて寝られません。

看病生活をきっかけに
あぶり出される人間模様


  私自身も仕事をしていたものの、仕事にはいつ戻れるかわからない状況で、職場の同僚や後輩たちには随分迷惑をかけてしまったはずです。 でも皆、私が抜けてしまった部分をフォローする傍ら、介護の情報収集や手続きにも手を貸してくれて、遠い土地でもメール一本でつながるありがたみを実感。 そして、本当に困った時には今まで大事にしてきた人間関係がものを言う、ということも実感しました。

  ただ、本来の人間性があぶりだされてしまうのも、こういう時です。

  夫の会社の社長は、夫が倒れて1週間以上経ってから病院を訪れ、自分がいかに健康に気をつけているかを得々と話して帰りました。夫は社長のことを敬愛していて、たぶん今でもそうだと思うだけに、この時は悔し涙が出ました。 社長はきっと、自分がわざわざ来たことを、感謝されていると思っていたはずですが。

  もっと腹が立ったのは、夫の家族です。義父には「お義父さんのかかりつけの脳神経外科の先生に、転院先の心当たりについて聞いてみてください」とお願いしたら、「先生は忙しい人だから」と相談すら断られ、義母に至っては「あなたも大変よねぇ、夫と娘の2人抱えて。どうしてこんなことになっちゃったのかしらねぇ」と、まるで他人事。いったい誰の子ども、孫なの!?

  実は、義母は夫が倒れる前まではうつがひどかったのですが、なぜか元気になってしまったようです。 私としては、それはそれで助かったと言えますが。

  そんなことがあって以来、私は夫の親族に不信感を抱くようになりました。 結局、夫が「子どもの頃から兄弟みたいに付き合ってきた」という従兄弟たちも、誰一人見舞いに来ませんでした。 今でも協力や相談をしたり、利用するところはしても、"頼る" つもりはありません。

娘の笑顔があるから頑張れた
助けてくれて、ありがとう


  夫が倒れて、家族の次にすぐメールをしたのは、娘のママ友達です。 「夫が倒れて危険な状態、もしもの時は娘をお願い」。 そうしたら、すぐに返信が... ...「わかった、がんばれ!」。涙がこぼれました。 その後も子どもを預かってくれたり、愚痴を聞いては一緒に怒ってくれたり、これほど大きな心の支えはなかったと思います。

  学童保育を通して娘を見守ってくださった先生も、父親のことで揺れる娘の心をサポートすると共に、私自身のこともずいぶん励ましてくれました。

  何よりはっきり言えるのは、私が頑張ってこられたのは、そして今でもこうして頑張っていられるのは、娘の笑顔があるからです。彼女が一番私を理解し、一緒に頑張り、支えてくれました。ママを助けてくれて、ありがとう!

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「読者体験手記」は、『かいごの学校』(現在、休刊中)より掲載したものです。