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読者体験手記
介護と仕事の両立に四苦八苦しながらも
ほほえましい表情や感謝の言葉に救われる
15年前の父親の介護に始まり、その後も義父、母親、義母の介護生活が続いている
料理研究家の小田直子さん。
仕事との両立に悩む一方、大切な人と過ごす時間の尊さも実感しています。
小田 直子 さん (料理研究家)


父の介護をしながら感じる
「焦り」と「安らぎ」


  それは15年前、突然のことでした。当時勤めていた職場に母からの電話。 「お父さんが昨日入院したの。そばについていないと、周囲に迷惑をかけてしまうの、私一人では無理。助けてちょうだい」と。 驚いた私は病院に向かいました。

  父の様子がいつもと違う。視点が定まらず、落ち着きがなく、夜になると大声で叫び出す・・・。 認知症の始まりでした。その日は父のそばで、眠れない夜を過ごし、翌朝、病院から出勤しました。 そんな日々が続き、仕事との両立の大変さを初めて痛感しました。

  父は退院後、バナナばかり何本も食べたり、ごはんを食べ終わっても「おなかがすいた」と、炊飯器の前に何度も立ったり・・・。母一人では、昼夜の世話は絶対に無理!私は思い悩み抜いた末、父の介護をするためにやむなく退職しました。

  ほどなく父はおむつが必要になりました。母と二人で介護に明け暮れる日々・・・。 しかし、父は時々ですが、今までに見たことがない、まるで幼児のようなかわいらしい表情や、思わず笑ってしまうようなしぐさを見せてくれたり、言葉を発したり。 そんな癒されるシーンに救いを求める日々でした。 介護に明け暮れる生活のなかで世間から取り残された焦りを感じる一方、「長い人生、こんな時間も悪くない」と、自分に言い聞かせていました。

  桜が満開の頃、介護に疲れきっていた母に「友達とお花見でもしてきたら?」と、気晴らしをすすめました。 夕方、明るい表情で帰ってきた母にホッとひと安心。 でも、その数日後、父は亡くなりました。今でも桜の季節が巡ってくるごとに父のことを思い出しては涙してしまいます。もう少し親孝行ができなかったのかと・・・。

小田 直子(おだ なおこ)
おだクッキングスタジオ(神戸市)代表。
料理の世界に魅了され、専業主婦から転身。 和・洋・中・菓子・パンの料理講座のアシスタントを経験後、日本食糧新聞社の専任講師を経て独立。 現在、フードコーディネーターとして料理レシピ作成、料理写真撮影、料理教室開催など、多方面で活躍中。
今でも耳に残る
義父からの最期の言葉


  父の死後、2~3年たった頃、今度は主人の父が風邪をこじらせ入院し、付き添いが必要になりました。 私は父を看取った後、料理の講師として新聞社に再就職してやる気満々の時期でしたが、主人の兄弟と交替で義父に付き添い、できるだけお互いの生活に支障が出ないよう協力できたので、本当に助かりました。 とはいえ、往復3時間かけて仕事と家事と両立させるには、大変な時間調整と体力が必要でした。

  私が付き添っていたある夜、義父の様子が「いつもと違う」と感じていると、朝方、私の顔をじっと見つめながら「ありがとう」と。あの頑固で無口だった義父から発せられた意外な言葉に私は本当に驚き、涙目になってしまいました。 義母と交替して帰宅後、「危篤」の電話が入りました。すぐに病院に駆けつけたのですが、義父は亡くなりました。 今でも義父の「ありがとう」は、私にとって大切な思い出です

介護での経験を糧にして
自分の人生を楽しむ


  現在、高齢の義母と母は何度も入退院を繰り返しています。 仕事を持ちながら家族を介護することは本当に大変です。 多くの女性が私のように介護のため仕事をあきらめたり、両立に四苦八苦されています。

  私の介護生活はまだまだ続きますが、介護を通じて学んでいることはより豊かな人間性を育んでくれると信じています。 まずは自分の生活を大切にしながら、介護と向き合っていきたいと思います。  

最後になりましたが、食事という仕事に携わっている者として、簡単なレシピを紹介させていただきます。介護する人もされる人にもおいしく栄養をとってもらいたいと願うのみです。食事は介護される方の一番の楽しみ。ぜひ、やさしい笑顔とやさしい言葉を添えた愛情あふれる食卓を!  

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「読者体験手記」は、『かいごの学校』(現在、休刊中)より掲載したものです。