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読者体験手記
自殺した父への懺悔の気持ちが
義母の看護に身を向かわせた
義母57歳、私27歳の時のこと。
借金を重ねながら、ひたすら義母の闘病に寄り添った2年間。
それは自殺した父のときのような後悔を二度としたくないと、固く心に誓ったから・・・
柏木 京子 さん (茨城県 48歳 仮名)
「あなたが私を看てちょうだい」
指名されて始まった義母の看護


  義母が急な痛みに襲われ、病院に運ばれたのは、彼女が57歳の時でした。 当初は胆石かと思われていましたが、精密検査の結果、胆のうがんで、すでに肝臓にも転移していたことがわかりました。 私はまだ27歳で、2人目を出産したばかりでした。

  義母は私に「子どもたちは娘に預けて、あなたが私を看てちょうだい」と頼んできました。 竹を割ったような性格の義母は裏表がなく、普段からウマが合うと感じていました。 でも、実の娘(義妹)ではなく、私に看護を頼んできたのは意外でした。 義妹はかなりおっとりとした性格のため、義母は頼りにならないと考えたようです。

  入院した義母は、「今日はうるめいわしが食べたい」「大粒のイチゴを買ってきて」「しじみが肝臓にいいから、煮汁を持ってきてちょうだい」と、無邪気に私に甘えてくれました。 身体をさすってあげたり、ただそばにいたり、爪切りや耳垢取りから、便が出ない時は指で出してあげることまで、何でもしました。母が必死に病気と向き合っているのだから、私もできることは何でもやらなきゃと必死でした。 その様子に、医師や看護婦さんたちは、私を実の娘だと思い込んで、夫には「お婿さん」と声を掛けていました。

入退院を繰り返して父は自殺
何もしてやれなかった私・・・


  実は、義母が倒れる前年に、私の父は自殺をしました。 躁うつ病を患って、入退院を繰り返していたのですが、私は子育てに追われていたこともあり、結局、父に何もしてやれなかった・・・。 そんな気持ちでしたから、なかなか父の死を受け入れることもできませんでした。 そのため、親を看てやれるということに、とても感謝していたのです。父の時のような後悔だけは絶対にするまいと、固く心に誓っていましたから。

  義母は女手一つで、夫と義妹の2人を育て上げ、ずっと働きづめでした。 夫にとっては父親代わりでもあり、かけがえのない存在でした。 そんな夫の気持ちが痛いほどわかるからこそ、私は夫の分まで、1日も休まずに病院通いを続けました。

高度先進医療を試し
借金は500万円を超えた


  義母は可能な限りの化学療法や免疫療法など治療を続けましたが、効果はほとんど見られず、症状は悪化し、治療費は高額になりました。 お金を捻出するために、夫は必死に働きました。それでも病院への支払いに追われ、貯えは底をつき、親戚や夫の会社に借金を重ねました。最後は、お金を借りるすべもなくなり、借金は500万円になり、私たちは途方にくれていました。

  そんな状況を理解した医師や看護師長さんが、ソーシャルワーカーを紹介してくれました。 状況を洗いざらい打ち明けて相談したところ、差額ベッド代以外の支払いを待ってくれる提案をしてくれました。 それがどんなにありがたかったことか・・・。 義母が必死に病と闘い、家族も頑張っている様子を、病院側は見ていてくれたんだと、感謝の気持ちでいっぱいでした。

最後まで病気と闘った義母
もう頑張らなくてもいいのよ


  義母は死ぬ直前、昏睡状態のなか、「わっしょい、わっしょい」とうわごとを繰り返しました。 母が病気と闘っているときに口にする言葉でした。 私は思わず、義母を抱きしめ、「もう頑張らなくてもいいのよ。十分頑張ったのだから」と。

  亡くなる2日前、義母は「テープレコーダーを持ってきてほしい」と言いました。 「あなたには本当に感謝している。面と向かっては言いにくいから、夜中にでも、感謝の言葉をテープに吹き込んでおきたいの。私が死んだら聞いてちょうだいね」と。  

こんなに具合が悪く、つらい状態なのに、そんなことを言ってくれる義母・・・。 「お義母さんは絶対治るのだから、そんなこと絶対に言わないでちょうだいね。それに、感謝してほしくてやっているのではないわよ」と、言うのがやっとでした。 義母が私のために、最後まであきらめずに頑張ってくれた――と思うのが今の私の心の支えになっています。  

この2年間、私たち家族は、経済的のみならず、肉体的にも精神的にも限界を超えた状態でした。 それでも、病気と闘っている母が一番つらいのだと。 そして、お金を貸してくれた親戚や病院関係者の方々のおかげで、看病に専念できるのは幸せなのだといつも自分に言い聞かせていました。  

今や私も48歳。管理栄養士の資格を取って、介護の現場で働いています。 今度は私たちが人様にお返しをしていく番だと、そして、それを義母が応援してくれているのだと頑張っています。  

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「読者体験手記」は、『かいごの学校』(現在、休刊中)より掲載したものです。