since1980
人間性豊かな活力のある地域社会の創造をめざす 総合ヘルスケア情報企業

読者体験手記
妊娠中に義母が認知症に・・・
育児と介護が同時スタート
一人暮らしを維持できなくなった義母は、同居介護を経て施設へ。
息子は大きくなるにつれ、
「おうち、いつ帰ってくるん?」を言わなくなっていった・・・。
佐藤 朗子 さん (福岡県 36歳 仮名)
「義母さえいなければ」
心をちらつく呟き


  義母がアルツハイマー型認知症と診断されて5年目。 火の不始末などの症状が次々と出てきて、一人暮らしを維持できなくなってきました。 私はちょうど息子を妊娠中で産休に入ることになっていたので、わが家の同居介護をスタート。 最初の頃こそ、いろいろなものを隠したり排泄の失敗をしたり、振り回されましたが、 夫の協力のお陰で何とか続けていけていました。

  しかし息子が1歳になる頃には、介護と育児の両立がつらくなり、無意識のうちに「この義母さえいなければ、私はもっと母親らしくいられるのに」と、誰にも言えない呟きが出てしまうように。

  認知症の介護が耐えられないというのではありません。 義母と毎日顔を合わせ、同じ話を繰り返し、息子の世話と重なる時は悩むヒマさえなく、介護を優先せざるを得なくなる時がたびたびあり、「これがずっと続くなら、そのうち育児に差し障りが出てくるのでは」という不安との闘いでした。

  そのような不安を夫や夫のきょうだいには言い出せず、息子を寝かしつけている夜に一人で悶々と悩む日々。 そのうちに2人目を妊娠し、義母を一時的に介護老人保健施設に預けることに夫も了承してくれました。

  初めて訪れた息子と2人きりの時間・・・。 世間の子育てママたちは、こんな時間を毎日普通に過ごせているのか、としみじみ感動したものです。 義母の施設には夫が通ってくれることになり、「2人目もこのまま平穏に育てられたら、そのうち職場復帰を」とようやく前向きに考えられるようになり、不安な時代は終わったかに思えました。

仕事・育児・介護の両立に
追われる日々


  産休や育休にも期限があって"職場復帰"が促されるのと同様に、介護老人保健施設からもやんわりと"自宅復帰"が促された日から、また「介護者」としての現実が戻ってきました。 義母は認知症以外に大した病気もなく、特別にリハビリが必要でもなく、見守る介護者さえいれば自宅で看られる状態なのです。私にもそれはわかっています。

  上の息子は4歳、下の娘は6カ月。「うちは子どもが小さくて」「うちにはおばあちゃんがいるので」と口にするたび、まるで介護が十分できないのは子どものせい、育児が十分にできないのは義母のせい、と未熟な自分を言い訳しているようで、やりきれない気持ちになりました。

  いざ職場復帰を果たしても、どうしても子どもや義母のために仕事を調整せざるを得ず、代わりの人に仕事を頼むこともたびたび。そうなると仕事が十分できないのは結局「介護のせい」だという、言葉にならない新たな言い訳が黒く心に渦巻き、「仕事に出ればリフレッシュもできるかも」といったお気楽な予想とは程遠く......。 先が見えないまま追われるように日々を過ごし、息子の様子が変わってきたのに気づいたのは、今思うと、かなり時が経ってからかもしれません。

義母の人生に
自分を重ねて思う


  週に1度、私か夫が義母の施設に通う時は息子もたいてい一緒でした。

  息子のお喋りを嬉しそうに聞くひととき。別れ際に「おうち、いつ帰ってくるん?」との息子からの問いかけに、ニッコリ黙りこむ時の義母の表情は認知症のそれと思えず、息子が私の顔をチラッとうかがう時の表情も、4歳児とは思えないものがありました。  

「帰ってくるん?」を言わなくなったのは、私が職場復帰して忙しくなり、病気がちな下の娘の看病にもかかりきりになった頃でした。義母、私、夫に「お兄ちゃん」と呼ばれることが多くなり、息子は息子なりにわが家の平穏と「おばあちゃん」の居場所を眺めていた、とは考え過ぎでしょうか?  

義母自身、実は「帰り」たがっている家はわが家ではないのです。話の端々でそれがわかります。 嫁いで以来40年以上、子育てをし、姑と夫を看取り、ひとり暮らしをして守ってきた家に帰りたいのです。 今、義母の居場所はどこなのでしょうか? 家族って何なんでしょうか?  自分のことばかりで精一杯の私も時折、子育てを通じて、数十年前の義母の姿に自分を重ねることがあります。  

▼ 「読者体験手記」トップページにもどる
「読者体験手記」は、『かいごの学校』(現在、休刊中)より掲載したものです。