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自院に風当たりの強い地元新聞があったので、ライバル地元新聞に自院の情報を提供したり、院内見学をしてもらったりして、密な関係を構築していった。(民間病院理事長)
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地域の開業医との連携を密にするため訪問する際、副院長である自分は、ベンツではなく自転車で出かけるようにした。
病院敷地内の坂道では、あえて立ちこぎをし、多くの職員の目にふれるようにしている。(民間病院副院長)
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検査技師である私は、30歳直前、理事長から院内業務改善委員長を命じられた。何から手をつけていいかわからなかったので、
医療部長、看護部長、薬剤部長、事務部長、検査部長など部門責任者にお願いしてメーリングリストをつくった。(民間病院検査技師)
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退院する患者さんに、病棟スタッフが寄せ書きをつくり、担当医からは花束を渡すだけでなく、退院後に季節の時候挨拶の手紙を送って、患者さんやご家族との縁を大切にしている。(公的病院看護師)
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中小企業経営者の団体に所属し、年に1〜2回、自院で病院見学会&懇談会を行っている。(民間病院理事長)
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グループ病院の若手事務職員をピックアップして、定期的飲み会を企画。年に1回は泊まり込みの合宿を実施し、外部講師の講演&飲み会での議論を行っている。(民間病院院長)
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今では当たり前のようになったが、地元老人会の人に病院の経営改善委員会に加わってもらって、忌憚ない意見を出してもらっている。(民間病院事務長)
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最先端の手術機器で手術精度は人間より高いものがあり、保険点数で認められていないが導入し、費用は病院の持ち出しでスタートさせた。(民間病院理事長)
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メディアの記者専用の部屋を病院の一角に設け、いつでも自由に来院して使ってもらうようにした。(民間病院事務長)
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「診療所開業支援」を謳い文句で医師を募集し、就職した医師で希望者に医療経営に関する教育も行った。(民間病院院長)
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シーズンごとにスポーツする人々が集まる地区が病院の近隣にあり、そこへサテライト診療所を出した。利用者からは安心だと評判をとり、知名度も上がった。(民間病院理事長)
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食道静脈瘤で入院した患者さんとご家族の話。患者さんは70歳過ぎで、息子さん2人が交代で付き添いをしていた。
ある日、病室を訪ねたら、ベッド横の椅子でいびきをかきながら寝ている40代の息子さんに、患者さんが毛布をかけようとしていた。
鼻からチューブが抜けないように注意しながら。仕事が非常に多忙で疲れがたまっていたのだろう。
患者さんと私は、彼女の思い出話や家族の話をした。息子さんはその間、目を覚まさず眠っていた。(民間病院・院長)
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30代の女性が子宮筋腫の手術で入院。手術は何なく終わり、後は退院までの回復を待つばかりだった。
小学生の娘さんは、手術前に恐怖感を覚えていたらしい。無事に手術が終わったことを伝えると、パッと表情が明るくなった。
退院の日、娘さんは、手造りのクッキーと手紙をスタッフルームに持ってきた。病院の規則で、お菓子といえども謝礼は受け取らないことになっていたが、
その場にいた看護師全員は、娘さんのいじらしさに心打たれ、ごく自然にクッキーと手紙を受け取った。手紙はスタッフルームに掲示している。(民間病院・看護師)
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看護師たちと飲み会をしたとき、A子から内科のB医師のことが気になってしかたないという恋愛相談を受けた。
内科の責任者である私は、それとなくB医師に探りを入れてみた。
彼もまんざらではない様子。そこで病院のクリスマスパーティのとき、2人がデュエットするようなイベントを企画してもらった。
私は看護師長とペア、院長は新人事務職員と、事務長は看護部長と、などといった組み合わせで、職員全員による投票審査をした。
優勝したのはB医師とA子。院内結婚に至りそうな感じである。(公立病院・勤務医)
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